海外生活21年。国際結婚19年。母親15年。西オーストラリア州のパースに8年。リンクフリーです。


by ellie6152
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カテゴリ:自分史( 8 )

移民法、第一関門突破!


先々週の金曜日から
科目の試験と、小論文二つの提出を済ませ、
次のユニットが始まるまでの間、2週間のホリデー。
と、言ってもせっかくなので修行のため
ボランティアで毎日仕事に出ています。
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(好きな時間に行けるので、車内はガラガラ。上はバス、下は電車)
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移民法は思った以上にハード。
かなり勉強しても、高得点がなかなか取れません。
合格点が50点で、クラスの平均が55点とかいう世界です。

提出課題論文に関しては文字数制限もあるし
プロのダーリンに、最終的に表現や英語を添削してもらって提出しても
バシバシ減点されます。
(ダーリン、頼むよぉ。。。。。)
講師も弁護士なのですが、点数を稼ぐのは至難の業・・・・。
採点はかなり厳しいものです。

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試験は3時間15分
選択問題は一切無し。
ほとんど、電話帳2冊分の法律本を高速でめくりながら
解答用紙用薄いノートにひたすら書く、書く、書く!
腕が疲れます・・・・・。

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この電話帳2冊分の中の、どこに何が書いてあるかを把握していないと
探しているだけで時間が過ぎてしまいます。

以前に他大学で勉強した法律の科目の中では
法令本への書き込みが一切禁止されていて、
ハイライトとリファレンス番号のみ許可で
これはかなり大変でした。。。。。。
今回のは何を書きこんでも許可されていたので
書き込みだらけ。
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今回の試験には選択問題が一つもなかった。
案外選択問題のほうが、難しかったり。

以前に受けた会計関連の試験
選択問題がそれぞれがとても長い文章で
「いっ、いったい、どこが、どう違うっていうのよ・・・・?」と
まるで間違い探しゲーム。。。
4つか5つの文章がみんな同じに見えた。
頭の中を黒いカラスが一羽。。。。。
完全に途方に暮れた経験がある。

選択問題の正解は一つだけ。
間違っていればゼロという無常な世界。

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試験なんてのは
習ったことや、テキストに載っているものは
まず出題されず
通常、それ以上のレベルで応用力を試されます。
日本の大学に比べて
入るのは簡単、出るのが難しいと言われる所以でしょうか。
本当に勉強しないとついてゆけません。

日本で大学生だったときの試験なんて
今思えばなんて親切だったんでしょうか!
勉強しない、授業に出ないわたしでも
ちゃぁーんと卒業証書が戴けましたもの。

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毎回の授業には大荷物を抱えて行き
これプラス仕事場に置いてあるファイルに本一冊が加わり
これだけでひとつの科目分。
みんな大きなスーツケースをゴロゴロ引っ張って
講義にやって来ます。

カバンには入らない
手では持ちきれません。


その光景は、空港で待ち合わせた団体旅行者のよう。
ちょっと笑えます!
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by ellie6152 | 2008-09-03 18:53 | 自分史

今日、またひとつ歳を重ねてしまいました。

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若い頃は、自分の年齢がスラッと言えたのに
最近は自分が幾つなのか、忘れてしまいます。
東京オリンピックよりも前ということは確かです。

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日本のように、何かの記入欄に
「年齢」という欄が無いので
一年に一度、この日が来ると

(その年の西暦)マイナス(自分の生まれ年)=(年齢)

という具合に計算し
あとの残り364日は
自分の年齢を気にすることなく生活します。

ダーリンの誕生日も、6日遅れでやって来ます。
彼も自分の年齢を忘れていて、
何かあるとわたしに聞きますが
二人ともうろ覚え・・・・
4才足したり引いたり、算数の計算で揉めます。

二人とも、なんか、イベントは既にどーでもいーような感じ。。。

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ブランド志向のダーリンに
「メルボルンで4-5日クラウンタワーに泊まっておいで」とか
「新しくティファニーがOpenしたから何かプレゼント買おう」
とか言ってくれるんだけど
別に欲しい物も無いし
メルボルンへはこの間母と二人で行ってきたし
一人で行っても、ねぇ・・・・・。
(ダーリンは都会には興味が無くて、息子と釣りをやっていたい)

と、こんな調子で毎年迎えるので
イベントの重要性がどんどん薄れてきます。

独身の頃、お付き合いしていた彼氏との記念日は
とても大切な日だったような気が・・・・。


年齢を重ねると
儀式としての記念日よりも
起こったことの事実の重要性を重視するからなのでしょうか。
(メンドウクサイ ズボラ ナ ワタシ タチ)

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それでもたくさんの人から「オメデトウ」と言われ、プレゼントまでもらっちゃいました。
やっぱりウレシイです。

ガイジンにとって記念日や誕生日は
ものすごく大切な日なんです。
(注、ダーリンは除く・・・・)
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by ellie6152 | 2008-09-02 19:40 | 自分史

人生の転機


外国生活を始めたきっかけ
人それぞれ、いろんな理由があるのだろう。

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「外国に住んでみたい」
「英語が話せるようになりたい」
「人生を変えたい」
「未知への期待」


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日本人相手のカウンセリング・アドバイザーをしていた時
さまざまな人の外国へ出た目的を聞いた。

特に25歳以上の女性に多く聞かれた言葉が

「自分探し」

適齢期にさしかかる前に
本当の自分を、異文化に身を投げ出し
少しずつ発見

これからの人生をどう生きるのか?

みんな真面目に将来を考えていた。

年齢が高くなればなるほど
その真剣さは度合いを増す。

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中には
「国際結婚して、ハーフの子を産む!」
という固い決意を持ったツワモノもいて
到着後すぐに依頼で病院へ付き添い

妊娠発覚!

お相手にその事実を告げる英語力が彼女になかったので
告知はわたしが・・・・

相手は、彼女のことすらあまり記憶に無い上に
女性の妊娠に関しての知識も無く
挙句の果てに

「おれの子じゃない!」

彼に説明する際に
彼女の紹介から始まり
「いつ」「どこで」「どうして」「そうなった」かを
順を追って説明・・・・・。

行為自体に言葉は要らない
を学びました。


順序はバラバラだけど
幸いにも、その相手が「いいひと」だったので
一件落着

結局彼女は、

結婚ー可愛い赤ちゃん出産ー幸せ家族

当初の目的を遂行!


結婚を自ら掴み取った

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・・・・・・・・・
そんなわたしも、ダーリンと出会って
「結婚するならこの人!」ってビビビっ

「今、プロポーズしたらOKしてあげるんだけどなー」と
自分から水を向けて
「さっさ」と「とっと」と結婚しました。

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鈍感な白馬の王子様は
お姫様が爆睡していたら
気が付かずに通り過ぎてしまうのである!!
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by ellie6152 | 2008-08-30 11:42 | 自分史


2004年7月
友人たちを呆れさせながらも、懐かしい(と言っても離れてからの日々は浅い)パースに戻って来た。
落ち葉色の大人の街メルボルンの冬と、原色カラーの田舎町パースとの色差は、子供の頃カラーテレビが家に届いた日の驚きに似ていた。
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元住んでいた近所の短期滞在アパートから息子を学校に通わせ、大急ぎで家を買った。
3週間後に引っ越し。

ふたたび、賽の河原ダンボールの中身空けの日々の幕開け。

まるで何事も無かったかのような元の生活。
大学院再開
メルボルンに行って帰ってきたことがうそのような平穏な日々。


2005年7月
息子の将来の社会適応能力を考慮し、カフェオーナーの未来オプション獲得のため、40過ぎのわたしが、公立の調理学校にて1年間フルタイムで学ぶ。
クラスメートたちとの年の差20+α

大学院の勉強と掛け持ち。
ヘロヘロになりながらも、充実感溢れる毎日。


2006年2月
フレンチレストランでの週末の仕事。(前菜とデザート担当)
フルタイムで調理学校の勉強。
大学院の勉強。
家事、息子の中学進学に遠距離送迎がトッピングされ、大車輪のごとく目の前にあるタスクをこなしかろうじて生き延びる。


2006年7月
調理学校卒業
入学当時10数人いたクラスメートのうち、無事に単位を落とさず卒業できたのは5人だけ。
1回も休まなかった皆勤賞。
(たまに実技でミョウチキリンなモノができたが・・・・・)

大学院の勉強を倍増、卒業急ぐ。
フレンチレストランもそのまま続行。


2007年3月
大学院卒業、会計士マスターを取得。


2007年4月
可愛がってくれたレストランオーナーが店を手放したのを機に辞める。

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今度はわたしの就職活動だ!と思ったら、またダーリンお伺い攻撃炸裂

アラブ首長国連邦メルボルンのふたつの事務所からのお誘い。
メルボルンの話は魅力的な内容で「今すぐ来て欲しい!」と言う。

ダーリンのHDの容量は限られているため、メルボルンの辛かった日々の思い出は上書き保存されず、自動消去されていたもよう。

アラブ行きに興味大と見た。


「こやつ、今度は中東と来たか。。。?」

頭の中の自分はすでにアラブ女性の全身被り物着用。
公共の場で、食べる時にはベールを脱ぐのか?
化粧は露出してる目だけでOK、下にパジャマ着ててもばれない?
移動はラクダ?
トンカツ、生姜焼きはちゃんと食べれるのか?


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結局、以前から熱心に誘ってくれた友人事務所の経営参加ということで、最終的な結論が出、パースにこのまま残ることに。


わたしのノラクラ生活(ブログをマメに更新する時間があるような生活)が始まる。


仕事、しようかなぁ・・・・情熱メモリー、完全に目減り傾向。 :-(
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by ellie6152 | 2007-07-21 18:32 | 自分史

小学校時代の作文は、書いてるうちに止まらなくなり、規定の原稿用紙枚数を大幅に超え、真ん中を捨て、最終的に最初と最後の部分のみで提出。
それなりの点数だったと思うので、要は大したこと書いてないってことだ。
ブログタイトルは「ひとり言」なので、誰にも文句は言わせませんっ!
(・・・・と、言いつつも本当は行間にもっと色んな出来事が詰まってるので、実際はもっと長い)

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2003年11月
母子家庭で短期滞在用マンションに滞在、買う&借りるの二つの物件を同時に探す。
環境の良い地域を探すため、メルボルンは電車・トラム・車を駆使してくまなく回る。
知らない街を地図片手に移動するのと、街の匂いの違いを嗅ぎ分ける自信はある。


メルボルンは不動産バブルの真っ最中。
どうしても欲しい家が無かった。(だって、みんなボロなのに億単位なんだもん)


半年契約の古いが環境のよい広い家が貸しに出ていたので、あせらずゆっくり時間をかけて探すことに。
1月末引っ越し予定。

クリスマス直前、ダーリンがパースでの仕事を終え、メルボルン入り。


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2004年1月
NZに息子(当時10歳)が初めての国外一人旅、義妹のところで3週間過ごす。
(息子、キレイなCAオネエチャンにチヤホヤされ、子供一人旅で鼻の下伸びまくる)
ダーリンは元旦翌日から仕事。
その期間を利用して単独日本里帰りを思いつき、さっそく飛行機を手配。
帰国の日が母の手術日と知る。
(母は癌や手術に関しては、わたしには一切内緒にしていた)
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2004年1月末
手術の経過も好く、引っ越しのためメルボルンへ。
息子のNZ便到着時間と上手く重なり、アパートに戻り荷物をまとめ、休む暇無くそのまま新しい家へ家具配置の指揮を執る。
パースから送ったコンテナ2台到着予定。
「これあっちっ、あれこっち。この家具はこう持って、この角度で入れるっ!」
引っ越し指揮者自分は、引越し屋より熟練。(しみじみ自画自賛、んなことでっ・・・・?)


家財道具もなんとか収まり、お約束のダンボールを空にする賽の河原作業が待ち受けるメルボルンでの新しい生活が始まった。


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ダーリンは休日返上で仕事、仕事、仕事のワーカホリック状態。
ゆっくりと週末を過ごしたり、家で話をした記憶が無い。(ダーリンは仕事以外のメルボルンの思い出がほとんど無い)
夫婦の会話を持つため、ランチタイムにせっせと街へ足を運んだ。
別居?通い婚?男女交際 (:-0)


この30分のランチデートは、二人にとってメルボルンの懐かしい思い出。
この時期は、一緒に住んでいなかったような錯覚さえ起こす。
(それはそれでラブラブなのよーっ! ;―))


日増しに募るダーリンの疲労とストレス
スッキリしない天気。
都会の学校で、常にパースの友達を恋しがる田舎モノ息子
不動産バブル。
わたしはわたしで、大学院編入手続きのタイミングが合わず、ランチを食べに出かけるのと帰りを待つのが唯一の仕事。


食文化の盛んなメルボルンで、有名な料理学校入学願書を提出してみたが(いつもの突発行動)、定員オーバーで半年待ち。
宙ぶらりん状態で物事がスムーズに運ばないながら、メルボルンの街は楽しかった。
(もぉー毎日買い物三昧! ほらっ、田舎から出てきたから・・・)

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2004年7月
「パースに帰りたい・・・・」 
(ダーリンWith 哀愁+効果音の木枯らしヒュルルぅー)
今回のこの件に関しては完全な現実逃避であったが色々と考えた末、

家族の幸せが一番

パースへ戻る決断を下す。(注:ダーリンはお伺いを立て、決定権はわたしが握る!)

ええーいっ、払った代償は大きいが、授業料だと思えば惜しくない。
(負け惜しみ?)
これを恩に着せ、これからドンドン稼いでもらおーじゃないのっ!!
穀潰しのわたし叫ぶ)ミノホド知らず? 


車2台を取りに来た輸送会社の人が、たまたま前回届けてくれた人で
「ついこの間パースから届けたばかりですが、またぁ?」

いいんです、それでっ! :-<

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NZ時代から数えると、4年間で8回目の引っ越し。
それも大荷物抱えての、だ。
全ての移動に費やした金額をトータルすると(3軒分の不動産手数料含む)、家一軒建つ金額になると思うが、考えないようにしている。


こうしてまた、パース生活Part2が始まった。


つづく・・・・。(ええぇーっ、まだこの先が・・・?)
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by ellie6152 | 2007-07-20 15:29 | 自分史

2000年5月
すでに仕事で大忙しのダーリンから、車のキィと「頑張れっ!」の声援とともに
わたしのパース生活が始まった。
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久しぶりの専業主婦。
新しい土地での生活。
チャレンジは嫌いじゃない。
いつも、何かが起こりそうな予感でワクワクする。
NZもオーストラリアも所詮、日本人のわたしにしてみれば同じ外国だ。

荷物も無事に届き、今度は山と積まれたダンボールの中身を空にする日々。
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やっと一段落、ホッと一息。

たまたま通りかかったホームオープン。
1012㎡ (300坪)の敷地に古い家。
川にも街にも近い!
即決。

「自分たちの家を作ろう!」
ドリームホーム宣言。
新しい課題だ。

2000年7月
パース到着から2ヶ月半、また引っ越し。
そこに建ってる家に住み、デザインを練る。
エクストリームメイクオーバー改築か、更地にして新築かを迷う。
(以前NZオークランドにいた時に、改築改装経験済み)

2000年9月
住んでる家は取り壊わし建てるので、また引っ越し。

2001年3月
半年後、建坪100坪ドリームホーム完成! (あっという間にできました)
また引っ越し。

引っ越しばかりのパース生活幕開けだった。

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新しい家での生活にも慣れたある日、
「大学院にでも行ってみたら?」とダーリン、新聞の切抜きを渡される。

会計士のMBA版?
あさって願書締め切り?

面白そう、やりたい(主体性無く、すぐその気になる)。
もともと税金に興味があった(税金ってなんでこんなに高いののレベル)。
早速書類を掻き集め、大学の門を叩く。
「たのもーっ!!」

2002年2月
年に2科目履修のパートタイム学生生活が始まった。
合計12科目を終えるには、途方もなく先のような気がしたが、順調にクリア。
38歳にして、生まれて初めて「勉強してる」実感。

学生時代、悪運の強さと美しい友情によって、かろうじて落第を免れてきた私。
このチャレンジは豆腐の土壌に、バベルの塔を建てるようなもの。
何も考えず、泥沼の上に高層ビルや東京タワーをバンバン建設。
「疑いを持たない」は最高の武器。(母に後で指摘され、振り返り、しみじみ思う。)
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そんな折、またしても悪魔ダーリンのささやき、
「メルボルンに行ってみたいんだけど・・・・・」 (語尾、消え入りそう)

仕事も順調、家も新築、息子の学校にも満足、全てがパーフェクトなのに・・・。


ダーリンは決して「嫌だ」から「飽きた」から、変化を求めるのではなく、現在の満足な状況(=目標)を達成したための向上心故なのだ。
実際にこの時も、パース史上最高額の仕事をやり遂げたばかりで、小さな田舎町パースでの、次のチャレンジに値する目標を失ったからだと思う。

ダーリンは水泳の元NZ学生チャンプNZ記録保持者でもあった。
若い頃に国の最高峰(ちっちゃい国だか)に立った経験のある人は、チャレンジ精神旺盛なのだろう、きっと。
その点、メルボルンは都会だ。
もっと大きなチャレンジができる土壌がある。
地方から東京を目指すのと同じような感覚。
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人生は一度きり。
そしてそれは、案外あっけなく短い。
やりたいと思ったことは、状況が許す限り行動に移す。
やらなかったと悔やむより、やって駄目だった悔しさのほうが、ずっと意味がある。
確実にいつかは消える自分と、残した家族の思い出の中の自分、遺された自分が生きてゆくためにも。
満足して逝きたいし、満足させて逝かせたい。

「こんなことだったら、生きているうちにもっと好きなこと、させてあげるんだった・・・・うっ、ぅ・・・(すすり泣き)」という罪悪感を背負って後ろ向きに生きたくない。

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ゴング、鳴りました

里心防止のためにも、新しい土地へ行く前の身辺整理の意味もあり、
家を売ることに(一日で売れた)。
後ろは振り返らない。
明日は明日の風が吹く。
家族が健康で一緒にいれば、どこでだって楽しく生きていけるさっ!

2003年11月
早々と引っ越しの手続きを済ませ(もう慣れてます)、身辺整理を終わらせ(プロ級)、メルボルンでの滞在先を決め(用意周到)、わたしは息子と二人で、メルボルンでの生活下地を作りダーリンを迎えるため、先にメルボルンに飛びます。

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つづく・・・・
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by ellie6152 | 2007-07-19 18:40 | 自分史

自分史 その2


「つづく」と、書いたからにゃー、続けなきゃ。

皆さま、長らくお待たせいたしました。
(あらっ、待ってない?・・・・こりゃまた失礼しました)
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(演歌のノリでお読みください)


NZに到着後、仕事はヨロズヤ何でもします。
日本人、海外生活問題勃発だ
全て鎮火させます、わたしの熱意で。
英語がどぉーした、言葉が何だ。
みんな、同じ人間じゃん。
白いからって威張るな、ガイジン
・・・・待てよ、ガイジンわたしたち。

警察、病院、裁判所。
事故現場からお呼びでござる。
呼ばれて飛び出てジャジャジャーン!
わたしはハクション大魔王。
枕の下には携帯だ、24/7は当たり前。


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NZカウンセラー(問題解決人)時代で、根性の基礎が固まる。
何が起こっても動じない精神を培った。
英語は 「言ったもん勝ち」&「気合」
日本の常識察しの美学、こちらでは非常識
語学のイロハに開眼。
成績好くても、通じにゃ意味ナシ。

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1989年5月
仕事を通して警察官ダーリンと知り合う。
(決して捕まったわけじゃないってばっ!)


1989年6月
付き合い始めて「ビビビッ」
プロポーズを強要

1989年8月
偶然問い合わせた披露宴会場ホテルのキャンセルあり、即決
式当日まであとわずか・・・・・。


ヤバイ!!
親に言ってなかったっ!

わたし 「ママ、わたし結婚するの」
母 「・・・・・誰と? お付き合いしてたジョンさんと?」
わたし 「ううん、違う人!」
母 「・・・・あら、まぁ。。。。。」(ことばが見つからない)

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(自分でデザインしたドレス、なぁーつかしいっ!!)
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何はともあれ、家族(両親と兄)も間に合い、無事に結婚式。
こんなわたしの結婚を、喜んで祝福してくれた家族って、今考えると偉大
こーゆー人たちの間で育ったわたしは、本当に幸せモノです。
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これが今から18年前のお話

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その後ダーリンは警察を辞め大学法学部へ入りなおし、弁護士に。
1993年には息子も生まれ、そして父が逝った。

わたしは単発でテレビの取材コーディネーターをしたり、日本人のオペアトレーナーをしたり、日本のラジオのレポーターをしたりしながら、オムツや離乳食と格闘


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1997年
カウンセラーをしていた会社の現地オフィス再建のため
託児所とベビーシッターを駆使しフルタイム復帰
働くおかぁさん!
日本本社から全ての権限を委託され会社登録、オフィスのリース契約、人事などのマネージメントに携わる。

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2000年5月
息子の学校のために新しく買った家に移って半年後、
ダーリンの一声「パースへ住もう!」に翻弄されオーストラリアへ。
思い立ったら即行動するダーリンは全てを残し、
一足先に単身パースへ。

取り残されたわたしは
一気にシングルマザー

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後任者への引継ぎ、家や車を売ったり、引っ越し準備と海外移住に必要な手続きをフルタイムで働きながら母子家庭で3ヶ月間奮闘。

今思えばよく頑張ったと感心するよー。


ここからがまた、新らしい人生の幕開け。


つづく・・・・・・
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by ellie6152 | 2007-07-18 14:32 | 自分史

自分史 その1


ひと様のブログヘお邪魔すると
必ず見るのが、プロフィール

そう言えば、わたしのないよね、プロフィール

だから書きます、自己紹介。
話好きなの、長いわよ。

(昔はデジカメなかったので、本文と写真はカンケイありませーん)


さてさて、それでは
お目にかかったことのない、
みなさん、こんにちは!

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わたし的には、ちょっと前まで「国電」、「電電公社」に「専売公社」。
バブル全盛少し前、日本のベクトル上向きのマハラジャ世代
あの頃ディスコで今クラブ(「ブ」の発音がポイントなんでしょ?)

神奈川県の住人。
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22歳で大学卒業後、コネで花の丸の内OLに。
(短大卒有利、女子大卒不利の時代。男女雇用均等法施行1期生時代)
社食も美味しく、皆さん親切、仕事ヒマ
皇居のまん前、東京駅から3分。
旧丸ビルは薄暗く、ランチ@夜はオヤジ飲み屋に大変身。

 会社では、お茶の入れ方教わりました 

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 「新人類来たる!」 入社前のフレコミあったそうな。
入社式に、前スリットのスカートはいて足組んで、横にズラリとお並びの、
役員オジサマ群の目を釘付けにした、笑えるネタを提供しました。
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課長のアタマ「ポーン」って叩くと、周りの人が一瞬で凍りつく、って学びました。
(そんな彼も今、社長)
初任給の明細金額が少なくて、「こんなにたくさん働いて、何かの間違いじゃ・・・・?」って総務に素直な疑問をぶつけることは、慎むべきだと知りました。

学生時代のイベントの仕事、会社に内緒で続けてました。


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1年後に退社し、イギリスへ遊び語学留学。
1987年7月
今からピッタリ20年前、まさに昭和の最後の頃。


ロンドン到着、ホテルで170万円分のトラベラーズチェックを盗まれた。
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1年後遊び留学終えて、ヨーロッパ一人旅By電車。
パリから成田の飛行機、チェックインして乗り遅れ
荷物だけ定刻通りに日本帰国、わたしドゴール空港で大慌て。



帰国後即、JapanTimesで見つけたNZ現地カウンセラー募集記事。
100人以上の応募者の中での熾烈な戦い。

応募は郵送を完全無視していざ出陣!
社長に会って直談判(・・・つぅか、「お願い、お願い」って)。
お人よし社長は、強引さに負け、採用決定!(ほんと、いい人なのよー)



1988年9月1日
NZのオークランドで新しい人生の幕が開いた。
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つづく・・・・。
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by ellie6152 | 2007-07-17 15:42 | 自分史