海外生活21年。国際結婚19年。母親15年。西オーストラリア州のパースに8年。リンクフリーです。


by ellie6152
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物騒な事件


パースに住む79歳のおばあさんが、何者かに襲われ、大怪我をした。

彼女は夜、自宅で寝ていたところを襲われ、
必死に抵抗を試みたが、男はおばあさんの顔を殴り逃走。
顔を何針も縫い、さらに失明の危険性もあるそうだ。

病院で横たわるおばあさんは、傷跡も生々しく、その時の恐怖をベッドの上で語る。

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一昨日、ダーリンの仕事仲間の女性が似たような災難に遭った。

弟と二人暮しの彼女は、その夜弟不在のため一人で就寝。
夜中に物音で目を覚ました。

見ると男二人が彼女の部屋で物色中。
大きな声を出したと同時に車で逃走。
必死に追いかけたが、結局見失ってしまった。

幸いにも彼女は無事だったが、電化製品やビデオカメラなどを盗まれた。

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半年ほど前に、仲良しの2軒隣のご近所さん達一緒に家族旅行に行っている間、彼らの家に泥棒が入った。

泥棒は昼間に2階の屋根から侵入し(瓦をはずした)、ホームセキュリティーの電源を切断。
24時間後に、完全にセキュリティーのチャージ分の電池が抜けた後家へ侵入。
金庫ごと持ち去った。

警察は「プロの手口」で、「旅行に行くことを知っていた者の犯行」とした。
結局犯人は捕まっていない。

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2週間ほど前に、NZのオークランドに住む義妹の一人暮らしの家に空き巣が入り、電化製品や形見の宝石などを盗まれた。

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わたしも過去にNZで空き巣に入られたことがある。

たまたま、ほんの少しだけ開けておいたトイレの小窓から侵入。
指輪やCD,化粧品、ダーリンの水泳で貰った金メダルと銀メダルを盗まれた。
「なぜ、大会のメダル・・・・・?」と疑問に思った。

後日、街の中心地のビルのトイレでメダルが見つかり、
メダルに彫られてあった名前から、手元に戻ってきたことがある。

結局犯人は逮捕されたが、10歳にも満たない女の子だった。


NZでは他にも、停めてあった車から、チャイルドシートが盗られたし、
夜中、自分の車からカーステレオを盗んでいる現場も目撃した。


自分のオフィスビルも被害にあった。
ドアごと電気のこぎりでズタズタにされ、更に鍵をかけていた個室のドアも全部蹴破られ、鍵付きの保管キャビネットから現金や小切手などを盗まれた。


オークランドでは空き巣が2回、車荒らしに4回被害にあった。

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パースでは幸い、今までのところ何事も起こっていない。

泥棒に入られるって、モノを盗られて悔しいが、
自分の領域を荒らされたナントモ嫌な気分。
泥棒が触ったものは愛着のあるものでも、気持ちが悪くて触れなくなる。


精神的なダメージが案外大きいのだ。
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by ellie6152 | 2007-07-28 22:15 | 生活

人の少ない町


朝、14歳を学校に落とし、ミーティングがあるダーリン送迎TAXIサービス。
街からMidlandへ行ってきた。
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パースの中心地から空港を越え内陸へ。
たったの30分くらいの道のりだが、めったに行く機会がない。

この前この町に行ったのは、たしか家を建てていた時だから5年位前。
地理院(?)らしきお役所があって、地形とか地質とか、そんな用事だったと思う。


ミーティング中のダーリンを待っている間、シロクロと一緒に町を探索。
この町を歩くのは初めて。


でもここ、ほとんど人がいない・・・・・。
車は通るんだけどねー。
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歩いている人といえば、ご老人と心身を病んでそうな人と、乳母車を押した人くらい。
シロクロを連れて呑気にカメラ片手に歩いていたのはわたしだけ。

小一時間ほど歩いて30人くらいの人と擦れ違ったが、
その中の3人に声を掛けられた。

1.シロクロに語りかけたおばあさん
2.「Hello」と言って後を付けて来た危ないオッちゃん。
3.「Sis!」と言って1ドルコインをねだる、もっと危険そうなおじさん。

話しかけられる確率(10人に一人の割合)、喫煙率、社会手当受給率はかなり高いとふんだ。

きっと時間帯が悪かったのかもしれない(金曜日の午前11時ごろ)。

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時計台の付いたタウンホール、裁判所など古い素敵な建物も多い。
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見知らぬ土地をカメラを持って、犬とウロウロして見て歩くのも楽しい。

車で30分でも、十分遠出した気分だった。
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by ellie6152 | 2007-07-27 17:27 | パース

夢の中身


生まれつき目の見えない人は,
寝ている間に、どんな夢を見るのだろう?

誰でも夢は見る。

目の見えない人の夢の画像は、心が映し出すイメージの投影なのだそうだ。


事故で車椅子になった知人は、「夢の中の自分が車椅子姿になるまでに、10年の歳月が必要だった」と語った。

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枕に頭を乗せ、ブランケットを胸に引き寄せた次の瞬間、
気絶したように眠りに落ちるわたしは、見たはずの夢を殆ど覚えていない。

ベッドに行って目を瞑ったと思ったら、
「えっ!?」という間に朝が来る。
心配事があっても、眠れないということはない。

むしろ眠りすぎのほうが心配事だ。

寝たと思ったらもう朝だ。
毎朝、騙されたような気がする・・・・・。

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たまぁーに見た夢を、覚えていることがある。
亡くなった父が登場人物で出てきたりすると、

 「カーット、カット、カット!」 

監督(わたし)の声。
そこで夢の撮影ストップ。

「この人はもう死んでるから、生きて出てくるのはオカシイ」

と思い直し
無理矢理黒縁の写真立ての中へと、お戻りいただく。

そういう冷静さを、自分でも寒々しいと呆れながら見る夢は、
完全に娯楽性を欠いている。

かなり現実的・・・・・?

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周りの人たちの見た夢の話を聞くと、怪獣が出てきたり(ダーリン)、乗り物に乗ってどこかへ行ったり(息子14歳)、素敵な男性とデートしたり(友人)、空を飛んだり(母)。
みんなの夢にはエンターテイメント性の要素があるようだ。
現実ではない違う人生があるみたいで、充実してる気がするが。
なんか楽しそうだ。

わたしの人生、スカスカ・・・・?

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今朝、近所に住む友人が

「昨晩、わたし電話・・・・した?」

と、確認に来た。

夢と現実の区別がないほどリアルな夢だったようだ。
我が家へ来るまでの間、

「もしかして、アタマおかしくなった・・・?」

かなり真剣に悩んでいた。

もちろん実際に彼女からの電話はない。


こーゆー実生活延長上のリアルな夢って、困るだろうなぁー。
一日24時間起きてるみたいで、かなり疲れると思う。

おお・・・友よ、どこへ行く? お大事に・・・。

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漱石の中で一番好きな作品、「夢十夜」。
その中の「一夜目」の夢物語は大好きだ。

この作品、漱石の夢を記録したものだが、なかなか面白い。

妻の亡くなる最期の言葉が、「百年待ってて・・・、そしたらまた会える」。
「亡骸を真珠貝で彫った穴に埋め、墓標代わりに空から落ちてきた星の屑を立てて、お日様が昇りそして沈むのを見ながら待っててね」と。
随分と大変な遺言だが、言われた通りにお墓の石上の苔に座り、ずっとその場所で日の出日の入りを数えて過ごす。

待てど暮らせど彼女は現れない。
「騙されたのか・・・?」と思ったら、石の下から茎が伸び、自分の胸元で止まった。
その茎の先に付いたツボミが花開き、むせるような香りと共に一輪の白い百合となる。
一粒の滴が天から花に落ち、百合が揺れ、そっと唇を寄せた。
そして知る。
「百年経ったんだ」と。

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一晩寝ている間に百年経つってスゴイ。

短い物語であるが、読んだ後、温かい優しい気持ちになれる気がする。


漱石、あんたはすごいよ。

さすが文豪、夢まで文学っ! 
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by ellie6152 | 2007-07-25 14:28 | 思ったこと・感じたこと

愛の方程式


YouTubeで、日本のテレビ番組が見られることを発見。
再生の連続で細切れではあるが、十分に楽しめる。

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島田紳助の名前を見つけ、何気に再生を押して見てみたら

うまい!

松本人志(わたしには、この人が面白いのかイマイチよく分からない)を相手に話していたが、

うまいっ!!

話の職人とか、芸人という貫禄が出てきた。
別にファンだったわけでもないし、お笑いが好きだったわけでもない。

欽ちゃんみたいに、時間とともに見るのに痛みを伴う芸能人が多い中、、
紳助は長年生き残り、さらに業界で成長した数少ない中の一人であろう。

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彼が言っていた、「男の愛情のバロメーター」。
女性に対する愛情の量を、方程式で表すと・・・・・

 (好き)- (エッチ)= 愛 
http://jp.youtube.com/watch?v=Vk_jkiA0oLs

なぁーるほど!!(ひざ、ポンっ)

男女の違いは、永遠のテーマでもあるが、
これほど的を得た表現は無いような気がする。
妙に説得力がないか?


割り算や掛け算やルートなど、面倒なものではなく
単純明快の引き算。
小学校1年生の算数ドリルでも勉強する。

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では、女性の場合はどうだろう?
 
わたしが思うに、

 (好き)+(エッチ)-(打算)= 愛


通常、女性の場合、「エッチ」は「好き」の前提の上に成り立つ。
ただ、残念ながらその合計が「愛」に繋がるほど純情ではない。


「エッチ」の数値は総数で、行為そのものに、ムードと質(技術)等を含む。
つまり、消費税・サービス料込みってことだ


 女性がシャワーを浴びてる間に腕立て伏せなんてやって待ってる2分男は、ごっそり値引きされるのだ! 



そこから相手の将来性や、現在の状況、これからの二人の関係などで微調整。
案外目盛りは細かいし、忙しなく上下に動かされる。

イケメン3高次男坊への愛情は、大幅に水増しされていることが多いが、
この分は源泉徴収で、結婚後に払い戻されることがある。

その反対に、ダメンズを好きになるとか叶わぬ恋などは、マイナス(-打算)でプラスに変わり、愛の数値がぐいぃーんとアップ。
ただし、愛情の量は自己申告制なので、思い込みの誤差を含むことを忘れてはならない。


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やっぱり、男の人ってわかりやすい?
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by ellie6152 | 2007-07-24 15:12 | 思ったこと・感じたこと

医者と患者



オーストラリアの医者は、感じの良い人が多い。

医者としての腕はもちろんのこと、サービス業で客(患者)の評価が即売り上げ(患者数)に繋がる。

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一般的に具合が悪くなるとGP(ジェネラル・プラクティショナーの略で一般医)に行く。
GPは人間の身体・精神に関わる全てを診ることができ、自分の手に負えないと判断された場合に紹介状を書き、必要であればそれぞれの専門医にまわされるシステムだ。
基本的に個人指名制。

患者は病院へ行くというよりは、指名した先生に診て貰う。

全ての分野(産婦人科、内科、外科、精神科、眼科、耳鼻科など全部)の知識がないとできない。
簡単な処置(切ったり縫ったり焼いたり)や注射も医師がやる場合が多い。
さらに人気商売なので無愛想では駄目だ。

わたしのホームドクターは、オージーの旦那様に男の子が二人いる中国人女性。
こちらはプライバシー重視のため全て個室。
もっぱら彼女と世間話に花を咲かせ、お互いの家族や自分の近況を話し、それだけで気分が良くなったりするくらいだ。
パースに来てからの7年間、わたしの健康はずっと彼女が管理している。

持病持ちの旦那と息子の診察の立ちあいや親族の入院、引っ越し先で相性のよい先生を見つけるまでの医者行脚工程、過去に医療通訳も仕事の一環だったわたしは、それらを通して多くの医者を見てきた。
日本以外で嫌な印象を抱いた医者は過去に一人だけ。
不愉快な思いをする確率は低い。

国立病院は原則的に医者を選べないが、国立でも医者やスタッフも感じが良い場合が多い。
基本的には国立での費用は無料。
有料無料を問わずこちらの病院では、入った瞬間から患者やその家族に対するイタワリの優しさが感じられる気がする。

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本来病人は具合が悪いから病院へ行くし、心配だから医者に診せる。
日本の医者は言葉こそは丁寧だが、「診てやってる」という驕りの匂いがする。
「患者様」とか、言葉だけが異様に丁寧なので余計寒々しい。
患者も「診て頂いてる」スミマセンな立場だ。
上下関係が完全に出来上がっているのだ。

見るからに具合が悪い人やお年寄りに、「これを持ってあっち行け」とか、「検査は上へ上がって、終わったらこっちに戻って」とか、さらに長時間待たせる。
病院の構造上仕方のないことなのかも知れないが、もう少し配慮があってもいいと思う。
医者に診て貰うまでに余計具合が悪くなりそうだ。

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確かに日本の患者数、病院の設備、日本の医療制度がこちらと違うことは理解している。
人口に対する医者の絶対数も病院の数も先進国にあるまじき比率。
ただ、上のものが下を見下す心理は、国や制度の問題だけではないと思う。


日本の実家の近所の病院で、母を診た若い女医の知識の無さと傲慢な態度を、付き添いであるわたしが面と向かって非難した時の憤慨した彼女の顔は、きっと小さい頃から勉強ができて、他人から批判されたことの経験の無いまま医者になったのだと思う。

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わたし自身も、日本、NZとオーストラリアの3ヶ国での手術入院の経験がある。

日本の大学病院での診察で、3メートル先の人の診察結果の説明が、後ろで並んで待ってる全員に丸聞こえで、居たたまれなくなった経験を持つ。
入院の際、白い巨塔ばりの教授回診大名行列は、病院での優先順位を見せ付けられ、患者とその家族や一番下になってる状況に疑問を覚えた。
手術を担当する執刀医に、なぜ別途にお金を渡す習慣があるのか?
渡すほうにも問題があるが、お金によって医師の発揮する力が違ってくるのか?

個人差もあるだろう。
日本でも、誠心誠意頑張ってる人たちもたくさんいるのも知っている。
この日本の医療制度や古い病院のしきたりの中、志を持ちながら仕事をすることはさぞ大変なことだと思う。


こちらでも、医療問題は国会でも必ず問題になるテーマだ。
医師の絶対数も、病院のベッド数も、医療に割かれる予算も全然足りてない。

「外国が素晴らしい、日本は駄目だ」という次元で言っているつもりは毛頭ない。
こちらにも人当たりはよくても、腕のよくない医者も結構いる。
逆に日本にも、偏屈だけど腕は確かという医者もたくさんいるだろう。


患者の具合の悪さを思いやり、耳を傾ければ、最先端の技術に頼らずとも解決することもあるのではないか?
その仕事に対して患者側が、自然と医師に敬意を払う。

医療の原点、医者と患者の基本的な関係や癒しって、案外単純なところにあると思うけどなぁ・・・・。
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by ellie6152 | 2007-07-23 19:17 | 生活

車の運転



外国に来てこの20年、毎日車を運転している。
歩いて5分のところですら車で移動する社会。

比較対象になる都市は数少ないが、
それぞれの街の人たちの運転には、特徴がある気がする。

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NZで運転し慣れたわたしは、パースに来てビックリ。

「なにっ?この負けん気の強さは!?」

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例えばだ・・・・・
2車線道路で、わたしの後ろに後続車がない時でも
追い越し車線から来た車は、必ず、わたしの前に無理矢理

ぐいっ!!

強引に割り入る。


わたしは安全運転ダーリンに、

「オモリの付いた足でペダルを踏む女」

と言われている、F1スピード並に突っ走るのにだ!

パースっ子は、それでも絶対に入らないと気がすまない。
他人よりも自分が前。
で、他の車は入れない

田舎モノ根性丸出し炸裂っ!!


そんな中、高速道路の制限速度の半分くらいで走り、小渋滞をクリエイトする車あり。
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パースは公共の交通機関が整っていないので、老人の足も必然的に車だ。
ハンドルに顎を乗せた前傾姿勢で、身動きせず一点を見つめ運転しているグランパ&グランマたち。
それも息をしているのかが心配になるような年齢だ。
方向指示器を出してから車線変更するまで、1キロぐらいかかる。

パースでの運転は、障害物競走なのだ。

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オレ様運転をオークランド(NZ)でやると、ヒドイ目に遭いかねない。

一見ノホホーンとして見える南の島の移民たちは(サモアとかトンガとか・・・)
意外に短気な人が多い。
感情表現も豊かなので、カッとなったら怒りを全身で表現

「運転中は彼らに注意!横入り+クラクションはご法度」と、元警察官のダーリン。
この手の傷害事件は日常茶飯事だったそうだ。
しつこく家まで尾行されボコボコにやられる。
加害者は女性が多いそうだ。(注:みんな巨体、巨乳の範疇超えた椰子の実5個分サイズが美の象徴。髪に花を付けてても、鉄拳パンチは容赦しない)


メルボルンは、都会なのにとてもマナーが良かった。
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方向指示器を出すと、混んでても
「まままっ、どーぞ、お入りください。」
驚くべき紳士淑女たち。

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都会の人は冷たいなんて誰が言った?
運転する地区にもよるが、高級住宅地界隈ほど優雅な気がした。
ポルシェやフェラーリ、マセラッティに譲っていただくと逆に恐縮してしまう。

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以前、友人がスーパーの駐車場スペースで、出る車を待っていたところ

「ぐいっ!」

とその場所を横取りされた。

「ちょっと、こっちは待ってたのよ!(怒)」と怒ったら
中国人のおばちゃん、しらっと彼女の車を指差し、

「あんた国産、あたしベンツっ!!!」

と言い捨て、勝ち誇ったように目の前から消えた。

悔しいが妙に説得力有り・・・・・。
反論の余地無くスゴスゴ退散。



これはもう、街の差ではなく人格の差なんだろう。
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by ellie6152 | 2007-07-22 20:57 | 生活


2004年7月
友人たちを呆れさせながらも、懐かしい(と言っても離れてからの日々は浅い)パースに戻って来た。
落ち葉色の大人の街メルボルンの冬と、原色カラーの田舎町パースとの色差は、子供の頃カラーテレビが家に届いた日の驚きに似ていた。
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元住んでいた近所の短期滞在アパートから息子を学校に通わせ、大急ぎで家を買った。
3週間後に引っ越し。

ふたたび、賽の河原ダンボールの中身空けの日々の幕開け。

まるで何事も無かったかのような元の生活。
大学院再開
メルボルンに行って帰ってきたことがうそのような平穏な日々。


2005年7月
息子の将来の社会適応能力を考慮し、カフェオーナーの未来オプション獲得のため、40過ぎのわたしが、公立の調理学校にて1年間フルタイムで学ぶ。
クラスメートたちとの年の差20+α

大学院の勉強と掛け持ち。
ヘロヘロになりながらも、充実感溢れる毎日。


2006年2月
フレンチレストランでの週末の仕事。(前菜とデザート担当)
フルタイムで調理学校の勉強。
大学院の勉強。
家事、息子の中学進学に遠距離送迎がトッピングされ、大車輪のごとく目の前にあるタスクをこなしかろうじて生き延びる。


2006年7月
調理学校卒業
入学当時10数人いたクラスメートのうち、無事に単位を落とさず卒業できたのは5人だけ。
1回も休まなかった皆勤賞。
(たまに実技でミョウチキリンなモノができたが・・・・・)

大学院の勉強を倍増、卒業急ぐ。
フレンチレストランもそのまま続行。


2007年3月
大学院卒業、会計士マスターを取得。


2007年4月
可愛がってくれたレストランオーナーが店を手放したのを機に辞める。

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今度はわたしの就職活動だ!と思ったら、またダーリンお伺い攻撃炸裂

アラブ首長国連邦メルボルンのふたつの事務所からのお誘い。
メルボルンの話は魅力的な内容で「今すぐ来て欲しい!」と言う。

ダーリンのHDの容量は限られているため、メルボルンの辛かった日々の思い出は上書き保存されず、自動消去されていたもよう。

アラブ行きに興味大と見た。


「こやつ、今度は中東と来たか。。。?」

頭の中の自分はすでにアラブ女性の全身被り物着用。
公共の場で、食べる時にはベールを脱ぐのか?
化粧は露出してる目だけでOK、下にパジャマ着ててもばれない?
移動はラクダ?
トンカツ、生姜焼きはちゃんと食べれるのか?


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結局、以前から熱心に誘ってくれた友人事務所の経営参加ということで、最終的な結論が出、パースにこのまま残ることに。


わたしのノラクラ生活(ブログをマメに更新する時間があるような生活)が始まる。


仕事、しようかなぁ・・・・情熱メモリー、完全に目減り傾向。 :-(
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by ellie6152 | 2007-07-21 18:32 | 自分史

小学校時代の作文は、書いてるうちに止まらなくなり、規定の原稿用紙枚数を大幅に超え、真ん中を捨て、最終的に最初と最後の部分のみで提出。
それなりの点数だったと思うので、要は大したこと書いてないってことだ。
ブログタイトルは「ひとり言」なので、誰にも文句は言わせませんっ!
(・・・・と、言いつつも本当は行間にもっと色んな出来事が詰まってるので、実際はもっと長い)

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2003年11月
母子家庭で短期滞在用マンションに滞在、買う&借りるの二つの物件を同時に探す。
環境の良い地域を探すため、メルボルンは電車・トラム・車を駆使してくまなく回る。
知らない街を地図片手に移動するのと、街の匂いの違いを嗅ぎ分ける自信はある。


メルボルンは不動産バブルの真っ最中。
どうしても欲しい家が無かった。(だって、みんなボロなのに億単位なんだもん)


半年契約の古いが環境のよい広い家が貸しに出ていたので、あせらずゆっくり時間をかけて探すことに。
1月末引っ越し予定。

クリスマス直前、ダーリンがパースでの仕事を終え、メルボルン入り。


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2004年1月
NZに息子(当時10歳)が初めての国外一人旅、義妹のところで3週間過ごす。
(息子、キレイなCAオネエチャンにチヤホヤされ、子供一人旅で鼻の下伸びまくる)
ダーリンは元旦翌日から仕事。
その期間を利用して単独日本里帰りを思いつき、さっそく飛行機を手配。
帰国の日が母の手術日と知る。
(母は癌や手術に関しては、わたしには一切内緒にしていた)
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2004年1月末
手術の経過も好く、引っ越しのためメルボルンへ。
息子のNZ便到着時間と上手く重なり、アパートに戻り荷物をまとめ、休む暇無くそのまま新しい家へ家具配置の指揮を執る。
パースから送ったコンテナ2台到着予定。
「これあっちっ、あれこっち。この家具はこう持って、この角度で入れるっ!」
引っ越し指揮者自分は、引越し屋より熟練。(しみじみ自画自賛、んなことでっ・・・・?)


家財道具もなんとか収まり、お約束のダンボールを空にする賽の河原作業が待ち受けるメルボルンでの新しい生活が始まった。


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ダーリンは休日返上で仕事、仕事、仕事のワーカホリック状態。
ゆっくりと週末を過ごしたり、家で話をした記憶が無い。(ダーリンは仕事以外のメルボルンの思い出がほとんど無い)
夫婦の会話を持つため、ランチタイムにせっせと街へ足を運んだ。
別居?通い婚?男女交際 (:-0)


この30分のランチデートは、二人にとってメルボルンの懐かしい思い出。
この時期は、一緒に住んでいなかったような錯覚さえ起こす。
(それはそれでラブラブなのよーっ! ;―))


日増しに募るダーリンの疲労とストレス
スッキリしない天気。
都会の学校で、常にパースの友達を恋しがる田舎モノ息子
不動産バブル。
わたしはわたしで、大学院編入手続きのタイミングが合わず、ランチを食べに出かけるのと帰りを待つのが唯一の仕事。


食文化の盛んなメルボルンで、有名な料理学校入学願書を提出してみたが(いつもの突発行動)、定員オーバーで半年待ち。
宙ぶらりん状態で物事がスムーズに運ばないながら、メルボルンの街は楽しかった。
(もぉー毎日買い物三昧! ほらっ、田舎から出てきたから・・・)

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2004年7月
「パースに帰りたい・・・・」 
(ダーリンWith 哀愁+効果音の木枯らしヒュルルぅー)
今回のこの件に関しては完全な現実逃避であったが色々と考えた末、

家族の幸せが一番

パースへ戻る決断を下す。(注:ダーリンはお伺いを立て、決定権はわたしが握る!)

ええーいっ、払った代償は大きいが、授業料だと思えば惜しくない。
(負け惜しみ?)
これを恩に着せ、これからドンドン稼いでもらおーじゃないのっ!!
穀潰しのわたし叫ぶ)ミノホド知らず? 


車2台を取りに来た輸送会社の人が、たまたま前回届けてくれた人で
「ついこの間パースから届けたばかりですが、またぁ?」

いいんです、それでっ! :-<

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NZ時代から数えると、4年間で8回目の引っ越し。
それも大荷物抱えての、だ。
全ての移動に費やした金額をトータルすると(3軒分の不動産手数料含む)、家一軒建つ金額になると思うが、考えないようにしている。


こうしてまた、パース生活Part2が始まった。


つづく・・・・。(ええぇーっ、まだこの先が・・・?)
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by ellie6152 | 2007-07-20 15:29 | 自分史

2000年5月
すでに仕事で大忙しのダーリンから、車のキィと「頑張れっ!」の声援とともに
わたしのパース生活が始まった。
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久しぶりの専業主婦。
新しい土地での生活。
チャレンジは嫌いじゃない。
いつも、何かが起こりそうな予感でワクワクする。
NZもオーストラリアも所詮、日本人のわたしにしてみれば同じ外国だ。

荷物も無事に届き、今度は山と積まれたダンボールの中身を空にする日々。
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やっと一段落、ホッと一息。

たまたま通りかかったホームオープン。
1012㎡ (300坪)の敷地に古い家。
川にも街にも近い!
即決。

「自分たちの家を作ろう!」
ドリームホーム宣言。
新しい課題だ。

2000年7月
パース到着から2ヶ月半、また引っ越し。
そこに建ってる家に住み、デザインを練る。
エクストリームメイクオーバー改築か、更地にして新築かを迷う。
(以前NZオークランドにいた時に、改築改装経験済み)

2000年9月
住んでる家は取り壊わし建てるので、また引っ越し。

2001年3月
半年後、建坪100坪ドリームホーム完成! (あっという間にできました)
また引っ越し。

引っ越しばかりのパース生活幕開けだった。

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新しい家での生活にも慣れたある日、
「大学院にでも行ってみたら?」とダーリン、新聞の切抜きを渡される。

会計士のMBA版?
あさって願書締め切り?

面白そう、やりたい(主体性無く、すぐその気になる)。
もともと税金に興味があった(税金ってなんでこんなに高いののレベル)。
早速書類を掻き集め、大学の門を叩く。
「たのもーっ!!」

2002年2月
年に2科目履修のパートタイム学生生活が始まった。
合計12科目を終えるには、途方もなく先のような気がしたが、順調にクリア。
38歳にして、生まれて初めて「勉強してる」実感。

学生時代、悪運の強さと美しい友情によって、かろうじて落第を免れてきた私。
このチャレンジは豆腐の土壌に、バベルの塔を建てるようなもの。
何も考えず、泥沼の上に高層ビルや東京タワーをバンバン建設。
「疑いを持たない」は最高の武器。(母に後で指摘され、振り返り、しみじみ思う。)
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そんな折、またしても悪魔ダーリンのささやき、
「メルボルンに行ってみたいんだけど・・・・・」 (語尾、消え入りそう)

仕事も順調、家も新築、息子の学校にも満足、全てがパーフェクトなのに・・・。


ダーリンは決して「嫌だ」から「飽きた」から、変化を求めるのではなく、現在の満足な状況(=目標)を達成したための向上心故なのだ。
実際にこの時も、パース史上最高額の仕事をやり遂げたばかりで、小さな田舎町パースでの、次のチャレンジに値する目標を失ったからだと思う。

ダーリンは水泳の元NZ学生チャンプNZ記録保持者でもあった。
若い頃に国の最高峰(ちっちゃい国だか)に立った経験のある人は、チャレンジ精神旺盛なのだろう、きっと。
その点、メルボルンは都会だ。
もっと大きなチャレンジができる土壌がある。
地方から東京を目指すのと同じような感覚。
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人生は一度きり。
そしてそれは、案外あっけなく短い。
やりたいと思ったことは、状況が許す限り行動に移す。
やらなかったと悔やむより、やって駄目だった悔しさのほうが、ずっと意味がある。
確実にいつかは消える自分と、残した家族の思い出の中の自分、遺された自分が生きてゆくためにも。
満足して逝きたいし、満足させて逝かせたい。

「こんなことだったら、生きているうちにもっと好きなこと、させてあげるんだった・・・・うっ、ぅ・・・(すすり泣き)」という罪悪感を背負って後ろ向きに生きたくない。

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ゴング、鳴りました

里心防止のためにも、新しい土地へ行く前の身辺整理の意味もあり、
家を売ることに(一日で売れた)。
後ろは振り返らない。
明日は明日の風が吹く。
家族が健康で一緒にいれば、どこでだって楽しく生きていけるさっ!

2003年11月
早々と引っ越しの手続きを済ませ(もう慣れてます)、身辺整理を終わらせ(プロ級)、メルボルンでの滞在先を決め(用意周到)、わたしは息子と二人で、メルボルンでの生活下地を作りダーリンを迎えるため、先にメルボルンに飛びます。

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つづく・・・・
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by ellie6152 | 2007-07-19 18:40 | 自分史

自分史 その2


「つづく」と、書いたからにゃー、続けなきゃ。

皆さま、長らくお待たせいたしました。
(あらっ、待ってない?・・・・こりゃまた失礼しました)
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(演歌のノリでお読みください)


NZに到着後、仕事はヨロズヤ何でもします。
日本人、海外生活問題勃発だ
全て鎮火させます、わたしの熱意で。
英語がどぉーした、言葉が何だ。
みんな、同じ人間じゃん。
白いからって威張るな、ガイジン
・・・・待てよ、ガイジンわたしたち。

警察、病院、裁判所。
事故現場からお呼びでござる。
呼ばれて飛び出てジャジャジャーン!
わたしはハクション大魔王。
枕の下には携帯だ、24/7は当たり前。


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NZカウンセラー(問題解決人)時代で、根性の基礎が固まる。
何が起こっても動じない精神を培った。
英語は 「言ったもん勝ち」&「気合」
日本の常識察しの美学、こちらでは非常識
語学のイロハに開眼。
成績好くても、通じにゃ意味ナシ。

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1989年5月
仕事を通して警察官ダーリンと知り合う。
(決して捕まったわけじゃないってばっ!)


1989年6月
付き合い始めて「ビビビッ」
プロポーズを強要

1989年8月
偶然問い合わせた披露宴会場ホテルのキャンセルあり、即決
式当日まであとわずか・・・・・。


ヤバイ!!
親に言ってなかったっ!

わたし 「ママ、わたし結婚するの」
母 「・・・・・誰と? お付き合いしてたジョンさんと?」
わたし 「ううん、違う人!」
母 「・・・・あら、まぁ。。。。。」(ことばが見つからない)

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(自分でデザインしたドレス、なぁーつかしいっ!!)
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何はともあれ、家族(両親と兄)も間に合い、無事に結婚式。
こんなわたしの結婚を、喜んで祝福してくれた家族って、今考えると偉大
こーゆー人たちの間で育ったわたしは、本当に幸せモノです。
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これが今から18年前のお話

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その後ダーリンは警察を辞め大学法学部へ入りなおし、弁護士に。
1993年には息子も生まれ、そして父が逝った。

わたしは単発でテレビの取材コーディネーターをしたり、日本人のオペアトレーナーをしたり、日本のラジオのレポーターをしたりしながら、オムツや離乳食と格闘


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1997年
カウンセラーをしていた会社の現地オフィス再建のため
託児所とベビーシッターを駆使しフルタイム復帰
働くおかぁさん!
日本本社から全ての権限を委託され会社登録、オフィスのリース契約、人事などのマネージメントに携わる。

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2000年5月
息子の学校のために新しく買った家に移って半年後、
ダーリンの一声「パースへ住もう!」に翻弄されオーストラリアへ。
思い立ったら即行動するダーリンは全てを残し、
一足先に単身パースへ。

取り残されたわたしは
一気にシングルマザー

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後任者への引継ぎ、家や車を売ったり、引っ越し準備と海外移住に必要な手続きをフルタイムで働きながら母子家庭で3ヶ月間奮闘。

今思えばよく頑張ったと感心するよー。


ここからがまた、新らしい人生の幕開け。


つづく・・・・・・
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by ellie6152 | 2007-07-18 14:32 | 自分史