自分史 その4 メルボルン編
2007年 07月 20日
小学校時代の作文は、書いてるうちに止まらなくなり、規定の原稿用紙枚数を大幅に超え、真ん中を捨て、最終的に最初と最後の部分のみで提出。
それなりの点数だったと思うので、要は大したこと書いてないってことだ。
ブログタイトルは「ひとり言」なので、誰にも文句は言わせませんっ!
(・・・・と、言いつつも本当は行間にもっと色んな出来事が詰まってるので、実際はもっと長い)
2003年11月
母子家庭で短期滞在用マンションに滞在、買う&借りるの二つの物件を同時に探す。
環境の良い地域を探すため、メルボルンは電車・トラム・車を駆使してくまなく回る。
知らない街を地図片手に移動するのと、街の匂いの違いを嗅ぎ分ける自信はある。
メルボルンは不動産バブルの真っ最中。
どうしても欲しい家が無かった。(だって、みんなボロなのに億単位なんだもん)
半年契約の古いが環境のよい広い家が貸しに出ていたので、あせらずゆっくり時間をかけて探すことに。
1月末引っ越し予定。
クリスマス直前、ダーリンがパースでの仕事を終え、メルボルン入り。
2004年1月
NZに息子(当時10歳)が初めての国外一人旅、義妹のところで3週間過ごす。
(息子、キレイなCAオネエチャンにチヤホヤされ、子供一人旅で鼻の下伸びまくる)
ダーリンは元旦翌日から仕事。
その期間を利用して単独日本里帰りを思いつき、さっそく飛行機を手配。
帰国の日が母の手術日と知る。
(母は癌や手術に関しては、わたしには一切内緒にしていた)
2004年1月末
手術の経過も好く、引っ越しのためメルボルンへ。
息子のNZ便到着時間と上手く重なり、アパートに戻り荷物をまとめ、休む暇無くそのまま新しい家へ家具配置の指揮を執る。
パースから送ったコンテナ2台到着予定。
「これあっちっ、あれこっち。この家具はこう持って、この角度で入れるっ!」
引っ越し指揮者自分は、引越し屋より熟練。(しみじみ自画自賛、んなことでっ・・・・?)
家財道具もなんとか収まり、お約束のダンボールを空にする賽の河原作業が待ち受けるメルボルンでの新しい生活が始まった。
ダーリンは休日返上で仕事、仕事、仕事のワーカホリック状態。
ゆっくりと週末を過ごしたり、家で話をした記憶が無い。(ダーリンは仕事以外のメルボルンの思い出がほとんど無い)
夫婦の会話を持つため、ランチタイムにせっせと街へ足を運んだ。
別居?通い婚?男女交際? (:-0)
この30分のランチデートは、二人にとってメルボルンの懐かしい思い出。
この時期は、一緒に住んでいなかったような錯覚さえ起こす。
(それはそれでラブラブなのよーっ! ;―))
日増しに募るダーリンの疲労とストレス。
スッキリしない天気。
都会の学校で、常にパースの友達を恋しがる田舎モノ息子。
不動産バブル。
わたしはわたしで、大学院編入手続きのタイミングが合わず、ランチを食べに出かけるのと帰りを待つのが唯一の仕事。
食文化の盛んなメルボルンで、有名な料理学校入学願書を提出してみたが(いつもの突発行動)、定員オーバーで半年待ち。
宙ぶらりん状態で物事がスムーズに運ばないながら、メルボルンの街は楽しかった。
(もぉー毎日買い物三昧! ほらっ、田舎から出てきたから・・・)
2004年7月
「パースに帰りたい・・・・」
(ダーリンWith 哀愁+効果音の木枯らしヒュルルぅー)
今回のこの件に関しては完全な現実逃避であったが色々と考えた末、
家族の幸せが一番。
パースへ戻る決断を下す。(注:ダーリンはお伺いを立て、決定権はわたしが握る!)
ええーいっ、払った代償は大きいが、授業料だと思えば惜しくない。
(負け惜しみ?)
これを恩に着せ、これからドンドン稼いでもらおーじゃないのっ!!
(穀潰しのわたし叫ぶ)ミノホド知らず?
車2台を取りに来た輸送会社の人が、たまたま前回届けてくれた人で
「ついこの間パースから届けたばかりですが、またぁ?」
いいんです、それでっ! :-<
NZ時代から数えると、4年間で8回目の引っ越し。
それも大荷物抱えての、だ。
全ての移動に費やした金額をトータルすると(3軒分の不動産手数料含む)、家一軒建つ金額になると思うが、考えないようにしている。
こうしてまた、パース生活Part2が始まった。
つづく・・・・。(ええぇーっ、まだこの先が・・・?)
by ellie6152
| 2007-07-20 15:29
| 自分史